今回取り上げる本は……
オームステッド セントラルパークをつくった男
時を経て明らかになる公共空間の価値
著:ヴィートールド・リブチンスキー 訳:平松宏城 (学芸出版社、2022年)
原著:A Clearing In The Distance Frederick Law Olmsted and America in the 19th Century, Witold Rybczynski(Scribner,1999)
【書評】
セントラルパークをはじめ、ワシントンDCの国会議事堂の敷地、スタンフォード大学キャンパス、バークレーの街並み、プロスペクトパークなどなど生涯で5500以上のプロジェクトに携わり、全米中に美しい都市公園をつくるという偉業を成し遂げたフレデリック・ロー・オームステッドの伝記。500ページ超えのボリュームながら、オームステッドの熱意、苦悩、プライベートなどが手に取るようにわかり、読むと仕事への意欲がわいてくる。
この本は、いわゆる偉人伝ではない。オームステッドがセントラルパークの現場総責任者のポストに就くのは35歳の時だ。それまで、大学行くほど勉強好きじゃないなーと測量士に弟子入りし、でも農業気になるんだよね、と親のすねをかじって農地を買うもうまくいかず、海外視察に訪れた先で書いた園芸レポートが評価され、北部の新聞の奴隷州リポーターに雇われて見聞録を出版し、自分の雑誌を発刊しようと思ったけど負債がかさみ……とやりたいことにいろいろ手を出して、挫折も多い人生を歩んでいる。ちょうどお金に困っているときにセントラルパークの現場総責任者にならないかという話が舞い込んできて、「やったことないけど、報酬いいなー」とやってみるとあっという間に才能が開花(造園においては測量士や農業、海外視察の経験が活き、委員会に自分が適任だと思わせるための見事な文章を書くすべも身につけていた)。その執務能力にほれ込んだ建築家カルヴァート・ヴォ―クスと、セントラルパークのデザイン公開コンペでJVを組み、運営に興味がなかった彼から筆頭アーキテクトの座を譲られて、ランドスケープ・アーキテクトとなるのである。ちなみにヴォ―クスとはその後14年にわたるビジネスパートナーシップを結ぶことになり、人生どんな出会いがあるかわからないと思わされる。
オームステッドが手掛けるのは、公園ばかりではない。南北戦争が勃発すると、その組織運営能力を買われ、今でいう赤十字のような、民間の医療衛生団体(サニタリー・コミッション)の事務局長に就任、獅子奮迅の活躍をする。破産寸前の鉱山の建て直しなどにも取り組み(これも家族と一緒に過ごす時間をもっとつくりたいと思っての転職)、50歳の時には、辞退するものの副大統領に指名されている。自分の想いに忠実に、家族を大事にしながら、進んできたキャリアがこんなに偉大に結実することがあるのかと、目を瞠らずにはいられない。
ちなみに、サブタイトルに「公共空間の価値」とあるが、彼がつくった公共空間の評価が時代を経てどのように変遷したかについては詳細には描かれていない。セントラルパークは、予算の問題、議会の横やり、嫉妬に燃える上司の横暴、メディアがあおる大衆の声などにより、着手数年ですでに当初オームステッドが理想としたものからは変わっていってしまうのだが、それでもプロジェクトにかかわり続け、できる範囲でやれることをやり遂げている。それが今「価値ある公共空間」として150年を経て評価されているのだ。地形と風景を自分の目で徹底的に観察したうえで慎重に計画に落とし込むという、あくまでも実践的な視点で考え抜かれたプラン、構造物を極力排し、植物に飲み込まれていくように計画したオームステッドの手法は、現代的ですらある。各プロジェクトについては図版なども交えて文中で説明があり、巻末に主要プロジェクト一覧もあるので、北アメリカに旅するときはにオームステッド設計の公園がないか探してみるのも楽しそうだ。
いかなる場合でも好機を見出せばそれを捉え、挑戦してみるのが自分の仕事の流儀です。そして、私はまだ若者に許される可能性の種をすべて撒ききってはいないのです。(1862年父ジョン・オームステッドに宛てた手紙の一節 p177)
若者とあるが40歳の時の言葉。何かをやるべきか迷っている人がいたら、この分厚い本でぐっと背中を押してあげたい。